子は、親の鏡なり

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日常を切り取り、分かり易い文章をサラっと書ける人を羨ましいと思うのです。
私は、小学校、中学校と文章を書く事がとても楽しく、また自画自賛ですが、漠然と「良い文章だなぁ、、などと思っていましたが、中学でも高校でも文章に対する評価は、全くと言っていいほど無く、それは、読書感想文しかり、読書も文章書きも好きだった私としては、とても寂しくも落胆な日々でした。
なぜ評価されないのだろう?こんなにも面白く書いているのに、、という日々を過ごしていたので、現在でも自分の文章に対しての自信と文章を書くことに対しての姿勢が及び腰なところもあり、ブログなども遅々とし進まんところがあるのです。言い訳ですが、、
論文や学会の抄録などは、そもそもの文章形態があるので書き易いのですが、これが日常の私生活や思うところを表現しようとすると、なかなか悩み、、何度も書き直したり、、結局書いたものの捨ててしまったりと、、。

幼い頃や思春期の出来事と言うものは、成人してからの日々にとても大きな影響を与えるものだと身を以て感じています。大学で学生たちに伝えるという仕事に従事して早13年。ダメなところを指摘するよりも、ダメなところに対していかに個性が表現されているか?良いところをいかに学生自身で理解し前向きに伸ばしていけるか?という事を考えるようになりました。自分の子供にもそのように向き合うよう心掛けています。
自分の子供というものは、本当に自分の分身のようで、ちょっとしたクセや性格の端が自分自身を見ているような気になることがあります。
子供を見ることで自分自身の短所や長所を再認識し、短所は、いかに個性として伸ばせるか?長所は、更に自信につなげて大きいものにシフトしていけるか?
日々自問自答です。

4歳の娘を見ていると、いつも感じるのは、、
子供が生まれると0歳。その時点で両親も親として0歳となります。子供の年齢と同じ年齢が親年齢として毎年、毎月、毎日流れていくのです。
日々色々なことを考えさせられ、勉強させられ、、共に成長できれば素敵だ〜などと、インフルエンザ明けのボーッとした頭で浅間山などを眺めながらほくそ笑んでいるのです。。

投稿者: TomohiroNabeta

2016年より長野県佐久市に移住し、生活拠点としながら、全国を移動し、医療福祉環境のデザイン及びコンサル。 商業施設や住環境のデザイン、製品のデザイン、ディレクションなど行っています。 >PROFILE-PAGE

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