冬の佐久平は、痛い、、そんな表現をご近所さんより教えられたのは、完全に移住する前の年でした。
当時は、週末だけ佐久平で過ごしていたのですが、それでも日々寒い、、という感覚がありました。
そして、昨年から今年にかけて、佐久平での冬の日常を味わいましたが、なんとも身体というものは、環境に慣れると言いますか、仕事で東京に移動すると、東京が暖かく感じられるくらいに佐久平の日々の痛いほどの寒さに慣れてしまったようなのです。
日本人は、屋根を支える柱梁と建具が構成する住まい環境の中で、内と外をつなげたり閉じたりしながら、30度程の気温変化の中で生活をしてきました。
それは、1年、12ヶ月の中で常に、気温変化に対し体が環境に適応しながらの生活でした。
だから、暑くなったら、風を通したり水をまいて身体の周りの温度を下げたり、食べ物によって身体を冷やす工夫をしてきました。
反対に、寒さに対しては、風を遮断し、四肢の元を温め、手のひらや足先を火に炙り暖を取る。そして、食べ物によって身体を冷やさない生活をしてました。
こういった生活のマイナス部分をプラスに転じる日々の工夫は、人々の身体を通して、知恵となり受け継がれ、変化する環境に対し、寄り添う事で、環境に慣れる身体作りが出来て来たのだと思います。
現代では、エアコンや高気密住宅が、年間を通して一定の快適環境を提供し、コンビニやマーケットが、食材から何でもそろえ、24時間サービス提供をしているので、特に何も工夫せずとも、年中何となく快適に過ごせてしまいます。
それは、自分で生きているのとはちょっと違って、作られた環境に生かされている日々だと思っていました。
佐久平に移住した理由のひとつに「四季がハッキリとしている」ということがありました。
ハッキリとした四季の中で、自然とどう対峙するか?どのように対応し生きていくか?こういったことが身体に心地よい負荷を与え、生きていく為の知識と、そこから生じる知恵を自身の身体を通して日々の生活を積み重ねていくことで、より表現の幅が広がるのではないか?という思いで過ごしています。
表現とは、自身の内部から生じ、内部の経験を元に判断、決断を行う事で、より独創的な今までにない伝達方法が形に成るものだと思っています。
ですから、絵画や彫刻、音楽や映画、文章やデザイン、建築でもそういった独創的な伝達方法の模索が、日々と直結しており、常に肌で感じ、自身の頭で考えること、、それを続ける日常こそが、今の僕の目標だと思ってます。
もちろん、日々様々な方々に出会い、会話をし、、いろいろな影響を受けることもとても大切です。
ですので、この佐久平のハッキリとした四季の環境と、東京と行き来出来る距離。偶然から手に入れた日々が本当に大切な毎日となっているのです。
ですので、冬の佐久平という環境は、夏以上に、大きな糧を与えてくれているのです。